CREATORS 30th Anniversary 2015/8

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【歴代主将紹介】第16代 平野博彦

[30th Anniversary Project] 投稿日時:2015/08/09(日) 20:45

第16代主将:#33DB 平野 博彦(2014年)

2014年度、第16代主将の平野博彦です。
2014CREATORSの思い出で最初に頭に浮かぶのは、9.17の東京ドームでの大敗であり、吉島さんのTDです。
試合序盤、細野さんのインターセプトで下剋上を予感させたものの、直後にFGを止められてからは一気に屈辱的なワンサイドゲームに。それでも、少しでもCREATORSの勇姿を見たいと辛抱強く4Qまで応援しつづけて下さったスポンサー、ファン、家族、友人、星美ホームの子供達の期待に、何とか応えたいというチームの気持ちを吉島さんが背負い、グラウンド中央を掛け走り、気迫で勝ち取ったTDでした。
まるで勝利したかのように喜び、大盛り上がりしてくれたスタンドに、チームはただ感謝することしかできませんでした。
シーズンの結果は3年連続の2勝3敗。3敗の内容も、個の力の差を見せ付けられた大敗でした。スポンサーにも、ファンにも愛想着かされても仕方ない結果だったにも関わらず、今もチームが恵まれている環境でプレーできているのは、2014CREATORSの根性と、せめてもの感謝の気持ちを表現できたあの1プレーがあったからのように思います。
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【ドナルド・マクドナルド・ハウス 東大ハウス訪問】
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【星美ホーム訪問】
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【歴代主将紹介】第9代 吉川浩

[30th Anniversary Project] 投稿日時:2015/08/08(土) 07:38

第9代主将:#15RB 吉川 浩(1999~2001年)
 

入社3年目から約10年間幹部に就き、1部昇格前の3年間は主将を任されました。
ただただ春の1
部2部交流戦(PEARL BOWL)で1部のチームにアップセットする事をモチベーションにチームを鼓舞。
やはり課題は練習参加率でした。
その時代はメンバー全員が社員だったので、木曜の17
時くらいに全員メールで「今日は練習、職場を出よう」と発信、近くにいる選手の職場によく迎えに行きました。
土日の参加率を上げる為に、先輩の奥様達と食事をし協力のお願い。
その分試合に負けると会場で奥様達に囲まれ叱咤激励、選手よりも熱い奥様達でした。
最近10
年はXリーグ1部という最高のステージでアメフトができ、誇りと感謝でいっぱいですが振り返ってみると、1勝や1敗に職場も家族も一喜一憂していた苦しくも楽しい熱かった2部時代が思い出されます。
今のチームに求められるのは勝つ事、日本一になってチームを築き上げてきた先輩・奥様方、理解頂いた上司ともう一度
盛り上りたい。

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【2014年最終戦。現役生活20年、最後のタッチダウン】


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【歴代主将紹介】第5代 藤田紀一

[30th Anniversary Project] 投稿日時:2015/08/07(金) 09:39

第5代主将:#68OL 藤田 紀一(1994~1995年)

バブル景気が弾け始めながらも、まだ手厚くスポンサーから援助を受けるチームが多い中、部員が40名を欠きその半数近くが社会人からフットボールを始めたメンバーが占めるCREATORSは、はっきり言って勝利するには厳しいチームであった。

練習メニューも選手で決めるし、試合時のプランやプレーも選手で決める、チーム運営を含め全て自分達で行って来た。

そのようなチーム状況でも「試合中相手に走り勝てれば、試合に勝つことができる!」とほぼ根性論で走り込みを中心に練習をこなした。
木曜日の練習後は、花寿司や山城屋で幹部ミーティングを行ない練習の反省、試合のプランやメンバー検討などを活発に議論した。
勿論お酒を酌み交わしながらの熱い議論であったため、次の週末練習で議論の結論が思い出せないことも多々あり。。。
酔いに任せずしっかりとメモをとることの大切さを学んだ。

このようにどうにかフットボールの体を成しているようなギリギリのチーム状況を選手自身が認識しながらも夏合宿のミーティングで10年後日本一になるにはどうしたら良いか真剣に議論をするなど、松田部長の勢いに飲まれた感は否めないが、夢見ながらフットボールをしていた。

今回のメッセージ作成の依頼を受け、久しぶりに過去の試合のDVD(VHSビデオからコピーしておいたもの)を見てみた。90年代は関東社会人リーグと東日本社会人リーグ2部を行き来する状況が続き、私が主将を務めた94、95年の2年間は、94年に関東社会人リーグ優勝をし、東日本社会人リーグ2部(X2リーグの前身)へ昇格、95年は東日本社会人リーグ2部で2勝3敗、どうにか残留をすることができた。
3敗中の2敗はすかいらーくと日本生命に大差で敗したが、IBM戦では16対14の惜敗、最後ゴール前のファンブル(確かCREATORSレジェンド吉川氏だったかなぁ(笑))で逆転できず今は亡き同期と悔しい思いをしたことを懐かしく思いだした。

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【1995年 五十嵐部長退任時集合写真】


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【2006年】                  【2012年引退年】

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【歴代主将紹介】第4代 相原隆士

[30th Anniversary Project] 投稿日時:2015/08/06(木) 19:26

第4代主将:#45LB 相原 隆士(1993年)


私が主将を務めたのは1993年。
日本アメフト協会への正式加盟から4年目で、
初昇格した2部からわずか1年で降格し、3部(関東社会人1部)での出直しのシーズンだった。
まだまだチーム創生期であり小所帯であったが、それ故にチームには家族的な一体感があった。

そう言えば、主将を決めるのはとても難航した。
当時、チームとしての実力はまだまだで
あったものの、練習や部内の規律は思いのほか(?)厳しく、前年まで主将の清水(淳)氏の苦労を目の当たりにしていたため、みな主将になることには腰が引けていた。
最終的には
「全員でサポートするから」という当時の主力メンバーの言葉に渋々引き受けたものだ。

私のチーム牽引方法はとにかくわめき、怒鳴ること。
鬼の形相で味方を鼓舞するということに
終始した。
社会人からアメフトを始めたメンバーも多くいたが、彼らにも容赦なく怒鳴り散らした。

彼らと久々に再会すると、現役時代どれだけ恐ろしかったか指摘されることがあり、随分理不尽な主将であったと今更ながらちょっとだけ反省したりする。
でも、コーチ時代も一貫してこのスタイルは続いたっけ。

平日も含めて多くのメンバーが練習に参加しチーム力は上がっていったが、秋のリーグ戦では、3位という成績に終わり2部復帰の目標は残念ながら果たせなかった。
前座だが東京ドームでの
試合も組まれた。
相手はシルバーオックスだったか。この敗戦は悔しかったなあ。

シーズン終了直後、関西所属の全日空とも千葉マリンで試合をした記憶がある。これはロースコアで勝利した。

当時は今は無き金沢グランドでの練習も多く、その際に練習通いの経路上にある当時新人の森本(93年入社)の送迎を多くやった記憶がある。なんでだ。

シーズン終了後、「みんなでサポートするから」と言って、藤田(紀)に主将を任せた。

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【歴代主将紹介】第3代 清水淳

[30th Anniversary Project] 投稿日時:2015/08/04(火) 21:07

第3代主将:#44LB 清水 淳(1991~1992年)

1年目(1991
年)シーズンは、関東社会人1部リーグに所属。
フットボール経験のある新入部員を迎え、春のジュニアパールボウルでは、太陽神戸三井銀行(当時)と対戦、【3-9】
という接戦を演じました。
その勢いのまま、秋のシーズンでリーグ優勝、2
部との入替戦抽選で一番対戦したくないハスキーズを引いたものの、なんとか勝利し、東日本社会人2部リーグ昇格を果たすことができました。

2年目のシーズンは、強豪揃いの東日本社会人リーグへの初挑戦でしたが、秋のリーグ戦で全敗、入替戦にも敗れ、関東社会人降格というシーズンとなりました。
私自身も春、秋に膝を怪我したこともあり、プレーの面でもチームに貢献できない残念なシーズンでした。

ジェットコースターのような2シーズンでしたが、当時はチーム内の半数近くが学生時代未経験というメンバー構成で、チーム全体の底上げと試合での勝利を追求した、厳しくも楽しく、かつ、勉強になるシーズンだったと記憶しています。

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